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東京家庭裁判所 昭和47年(家)8722号 審判

申立人 松原美子(仮名)

主文

申立人の氏を「野村」に変更することを許可する。

理由

I  申立の実情

申立人は昭和一五年頃、申立外野村昌夫と事実上の夫婦となつて以来通称として野村を称し、かつ申立人と野村との間の子らもすべて野村を法律上の氏としているので、申立人の氏を「野村」に変更することの許可を求める。

II  当裁判所の判断

1  申立人本人審問の結果ならびに本件記録中の戸籍謄本その他の資料によると次の事実が認められる。

(1)  申立人は、昭和三三年頃から亡野村昌夫(以下野村と称す。本籍福井県小浜市○○△△号△△番地)と事実上の夫婦として同棲し、以来申立人は「野村」の氏を通称として用いてきた。

(2)  野村はもと本籍地で建築業を営み、昭和一六年二月二四日届出により法律上婚姻した妻愛子(京都府舞鶴市に居住)との間に長男昌晴(昭和一六年五月一二日生)、長女清子(昭和二二年一二月三日生)、二女扶美子(昭和二四年一〇月四日生)の三子があつたが、夫婦の折合が悪く、昭和三二年頃単身上京し、東京で新たに建築業を始め、やがて申立人と知り合い、申立人は野村の家庭の事情を深く知らずに上記のような生活に入つた。

(3)  申立人と野村の間に長男孝彦(昭和三三年七月一二日生)、次男常夫(昭和三八年一二月二四日生)が出生し、昭和三九年一月一七日野村は上記両名を認知し、昭和四〇年一月二〇日両名の親権者を父野村と定め、昭和四〇年二月一七日両名は父の氏「野村」を称することとした。

(4)  野村は妻と離婚し申立人と婚姻届をすることを熱望していたが妻の反対にあつて果たさないうち昭和四七年六月二三日死亡した。

(5)  申立人は昭和三三年以来「野村」の氏を通称として永年にわたり使用しており、親族、知人、近隣のつきあいにおいて「井出」の氏は通用性を失つているばかりか、野村の死亡後は申立人がひとりで野村との間の二子を監護養育しているため、子の氏と母である申立人の氏が異なつていることは社会生活上種々の支障があり、かつ子供たちも申立人の氏を「野村」に変更することを望んでいる。

以上の事実が認められる。

2  以上の認定事実に基づき本件申立を検討する。

(1)  以上の事実によると、申立人は昭和三三年以来「野村」の氏を通称として永年にわたり使用して、「野村」の氏が社会生活上定着してきていると認められるので、申立人の法律上の氏を「野村」に改氏したところで呼称秩序の不変性を害するものではなく、また母とその監護教育に服して共同生活を営む未成熟の子が同一氏を称することは、社会生活上また子の教育上望ましいものと一応考えられる。

(2)  ところで前記認定の事実によると申立人と野村はいわゆる重婚的内縁関係にあつて、妻が協議離婚に応じない以上、裁判離婚における有責配偶者に対する最高裁判所の判例に厳格に依拠するときは野村は有責配偶者として妻との離婚は終生認められない立場にあつた。そのことも影響してか野村の生前申立人と野村との正式な婚姻が実現できなかつたものと解せられる。そこで、本件申立を許可すると、事実婚の妻の氏を事実婚の夫の氏と同一にすることによつて法律上の婚姻によつてのみ、妻の氏が夫の氏に変更され夫婦同氏となるという民法七五〇条を回避し、ひいては民法のとる法律婚主義に反することにならぬかということが問題となる。

この点について考うるに氏は夫婦と未成年の子など法律上の共同生活体を構成する一定の集団が共通にする身分上の呼称である反面、名と共に個人を識別する機能を有する。内縁の妻にとつては、元来このような身分上の氏の同一性は内縁の夫との関係には法律上存在せず、個人の呼称としての氏が存在するに過ぎない。したがつて、上記のような問題はわが国の婚姻法秩序に著しく反しないことということを、氏変更許否の一般的基準として充分考慮すべきではあるが、もともと個人の呼称としての氏は、身分上の氏とはかかわりのない問題である。よつて、申立人の呼称上の氏を「野村」に変更したところで、それは呼称の変更に過ぎないから、内縁の夫と同一氏になるわけでもないし、民法上の氏に関する諸原則に対する違反または脱法になるものでもないと解される。

(3)  本件において申立人が氏を変更するにつきやむを得ない事情があるかどうかを考えてみると、「野村」の氏が申立人の通称として社会的通用性を獲得してきていることは前記認定のとおりであるが、氏変更許否の消極要件として氏変更に対する本妻の立場を考慮する必要がある。然るときは、本妻は京都府申立人は東京都と地理的にも距離があつて生活圏が異なりしかも野村が既に死亡していることから、申立人の氏を野村に変更することにより格別本妻の呼称秩序を混乱させることはないと解せられ、かつ、野村が既に死亡している以上、本妻と内縁の妻が同じ野村を称したとしてもわが国の婚姻秩序に反するということもない。かえつて、申立人の氏を野村に変更すると、既に本妻の籍に入籍された子の戸籍を本妻の戸籍から申立人の戸籍に移す道を開くことにもなる。その点では本妻の立場は回復されることもありうる。

ほかに申立人の氏変更によつて、第三者に損害を及ぼすことを認めることのできる証拠はない。

(4)  以上一切の事情を考慮すると、申立人の氏を「野村」に変更するやむを得ない事由に該当すると判断される。

よつて本件申立は理由があるものとしてこれを認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 野田愛子)

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